祖母が死んだ。
大正時代、そこそこ裕福な家に生まれた祖母は歌やピアノが大好きで、音楽に関連する仕事に就いた。やがて見合いで結婚、子供が生まれた。私の親だ。
私が高校生だったある日、本当は結婚なんてしたくなかったし、子供も欲しくなかった。歌を歌いピアノを弾いてずっと生きていきたかったと今でも思っている。と、孫である私に語った。
彼女の生きた時代は、今と比べると遥かにままならないことが多かっただろうとは思う。けど、強い意志を持ち、苦労をしながらも自分らしい人生を切り開いた人だっていたはずだ。少なくとも祖母は「人並みの人生」を選んだのだ。
自分の子供の存在を否定することは、その孫である私の存在も否定することに他ならない。面と向かって「あんたなんか別にいなくてもよかった」と言われたに等しいにもかかわらず、私は怒りや悲しみを感じなかった。
その時点で祖母は80歳近く、これから人生をやり直すのはさすがに無理な年齢だった。
戦争を生き抜き、そこそこの年金と家、夫、子、孫という「人並みの人生」を手に入れたにもかかわらず、過ぎた過去を諦めて受け入れることもできないその姿は、憐れで哀しい…。
…後悔しない人生を送ろう。それは人並みな生き方にはならないかもしれない。でも、一度しかない人生を、流されるのではなく自分の力で泳ぎたい。どんな形で力尽きるのかはわからないけれど、私は私の好きに生きたぞ…!と思って死にたい。
と、鮮烈に思った。高校生の頃のこの気持ちは色あせることなく、悩ましい問題が起きた時の判断基準は今も「その選択を、死ぬ間際に後悔しないか?」だ。
祖母を乗せた霊柩車は「願わくば桜のもとで春死なん」という句そのままの、咲き誇る桜の下を何度も通って火葬場へ向かった。
彼女の魂は安らぎを得たのだろうか。