限りある出張生活の土日、天気の良い日は特に有効活用せねば。有名観光地より「こういう機会でなきゃ来ることないかも」という場所に行きたい。というわけで本日の目的地は佐賀・吉野ヶ里遺跡!野外だし、移動もレンタカーで一人旅なのでコロナ感染防止も問題なし。
吉野ヶ里遺跡に到着
長崎市内から高速道路を使って1時間40分ほど、吉野ヶ里遺跡に到着した。高速降りたら田んぼの中をまーっすぐ行けば着く。駐車場もガラガラでお客さんはほとんどいない。
綺麗に整備された入場ゲート前の広場。きっと修学旅行生がいっぱい来たりするんだろうな。冬なのにしっかりお花の手入れをしていた。
昔、日本史で「環濠集落」というのを習ったけど、実物を見るとなるほど…って感じ。濠だから水も溜めて、これを環っか状に掘って、その中に集落を作る、と。なるほどなるほど。
一般人居住エリア
再現されているのは一部の住居跡だと思うけど、雰囲気を味わうには十分。歩道は綺麗に整備されているので歩きやすいけど、敷地はけっこう広いし細かなアップダウンがある。
ほとんどの復元住居に入ることができるのと、中に農機具や土器など生活に使っていただろうものが置いてあるのが面白い。キャンプに貸し出しとかしたら楽しそうだな〜と思いつつ、全ての建物に消防設備がついているのに驚いた。確かに燃えやすいもんなぁ。
政治のエリア
この建物、見たときは後世の創作では…?と思った。だって当時の建築技術で3階建てにするメリットってどれぐらいあるのかなって。物見櫓とかならわかるけど、政治の場が高いところにある必然性があまりないような…。それとも弥生時代から施政者は一般人を見下ろすものだったんだろうか。
2階は合議の場。子供の頃に読んだ卑弥呼とかが出てくるような学習絵本の世界はこんなにカラフルだったのかな。どの程度まで正確に再現されているんだろうか。
3階は巫女が神託を受ける場。うん、想像していた弥生時代ってこんな感じ。
3階からの眺めはこんな感じ。高層ビルに登ったような感覚だったのかな〜。
役員クラスの居住エリア
吉野ヶ里遺跡はかなり広くて形が複雑。でも良く考えたら当たり前だよね。居住・行政・商業が一箇所に集まっているんだから。
右が物見櫓、左が倉庫的なものだったかな。
目的によって形が全然違うのが面白い。昔の人というのは今に比べて劣っているわけではなく、そこにあるもので可能な限りの知恵を絞って生活していたのだということがよくわかる。西暦2000年代を生きる私たちは先人の努力や知恵や発見を下敷きにして便利・快適な生活を享受しているわけで、生き物としてはよほど弥生時代の人たちの方が強い。
埋葬のエリア
今でこそ人間はほとんど同じようなお墓に入るけれど、そういう平等性が生まれたのはごく最近、日本で言うと明治時代以降な気がする。吉野ヶ里遺跡はもちろん区別がある。一般人はたくさんの人が寄り集められて、身分の高い人たちは別のエリアにゆったりと埋葬されている。埋葬用の甕はとても大きい。日常に使うものより作るのも焼くのも移動するのも大変だっただろうに、人を弔う気持ちがその労力を上回っているのがすごいなと思う。
帰ります
今はすでに完成された史跡となっている吉野ヶ里遺跡だけれども、吉野ヶ里遺跡の発掘が始まったのは私が生まれた頃。新聞にはよく新たな出土品のニュースが載っていた。遠い地で、はるか昔の生活が蘇る様子は子供心にとてつもなくロマンチックだった。私の考古学好きは多分にその報道の影響を受けていると思う。
今日はそんな一方的な思い出の地である吉野ヶ里遺跡に来られて本当によかった!
おしまい!
※2個までゆうパケット送料300円※ 『吉野ヶ里遺跡 物見やぐら 【 加賀谷木材 】 自由工作 木工 工作キット』 価格:1,184円 |
これちょっとやってみたいな…。