読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ちょっと旅してくる

わが身ひとつで気ままに生きる。

本と電子書籍に思うこと

日々のこと

少なくとも週1回は本屋を巡回しているので、割と本好きの部類に入ると思う。kindle paperwhiteも愛用している。本を買うお金はケチらないことにしている。

最近、本と電子書籍について思うところがあるので、少し記録に残しておくことにした。ちなみにこの文章は、所有欲とか収集欲とか「物理的な価値」に重きを置かない人間が書いてます。

 

電子書籍が普及することで失われるものはなんだろうか。印刷会社についてはもうこれは仕方ないと思う。電話交換手、人力車、活字拾い…技術革新に伴い失われた職業は数多くあり、自分自身いつその立場になるかわからないのはだれでも同じだと思うので。私は単純に、消費者側の利益のみに基づいて書きたい。

 

まず大前提として、本屋はなくなってほしくない。

「乱読のセレンディピティ」という本がある。たくさんの脈絡のない本を読むと思わぬところで素晴らしい本に当たって視野も広がるよ。という本だが(すごい乱暴な要約だけど)、いかんせん電子書籍など存在しない時代に書かれた本だ。乱読どころか「本屋でのセレンディピティ」が消滅の危機にあると知ったら外山先生はどう思うだろうか。

視野を広げる目的で本を読んでいるわけではないけれど、良い本は書き手側のものすごい時間(もしかしたら人生まるまる)の結晶だ。それを数時間で吸い取るのだから、一定の質と量を伴う読書が結果的に視野を広げるのは間違いない。

 

私は電子書籍含めAmazonでの買い物が多いので、自分のことを「Amazonの奴隷」と表現したりする。が、「あなたへのオススメ」に出てくる本ばかり買うようになったら、それこそAmazonの基準でAmazonの利益に貢献するだけの本物の奴隷だ。他人に踊らされる読書に価値はない。

ので、本屋通いはやめない。ぷらぷらと本棚の間を歩きながら、目についた本を手に取る。うーんイマイチかな、と棚に戻す。いつもと違うエリアで思いのほか面白そうな本を見つけ、小脇に抱える。そしてまた次の棚に目を向ける。この楽しさは本好きなら絶対わかるはず。

 

昨日、素晴らしい本をkindleで読んだ。登場人物の健気さと透明さ、美しい文章。とても感動したにもかかわらず、涙は出なかった。電子書籍で読んだ本で涙を流したことはないと気づいた。これは偶然だろうか?どんな媒体で読んでも感動は変わらないのだろうか?

上に書いた素敵な本を読み終えた時、私は感動しながら「ああ、本で読みたい!」と思った。手に感じる重さ、めくるごとに少なくなっていく残りページ。クライマックスが近づいているとひしひしと感じ、読み終わるのが惜しいと思いながら、でも早く先が知りたいという矛盾した気持ち。

そういうのがkindleには、ない。正確に言えば、機能としては存在する。「この章を読み終えるまで5分」とか「全体の60%を読み終わりました」とか表示する機能はある。でもその表示を見るといつも、楽しい読書に水を差されたような気分になって鼻白むのだ。

いつでも読めるように、ハードカバー・文庫本・kindle版をそれぞれ持っている本がある(どこのオタクだ)。何度読み返しても、やはり涙が出るほど感動することはある。が、kindleで読んでいるときに涙がこみあげたことはない。

 

物理的な価値に重きを置かないと言いながらも、本そのものの美しさも捨てがたい時がある。

主に中世ヨーロッパで、本が高級品だった時代に作られたとんでもなく豪華な装丁の本。そんな本に埋め尽くされた美しい図書館。存在すること自体に価値があることもあるな、うん。

最近なら「果てしない物語」。あかがね色の表紙に尾を噛みあう蛇の紋章、本文はもちろん臙脂と緑の二色刷り。物語の中でバスチアンが手にする本と同じ装丁は、もしかしたら自分にもバスチアンと同じようなことが起きたりすることもあるんじゃないかと思わせる仕掛け。この本は内容もさることながら、この装丁も含め児童文学の最高峰だと思う。

 

マンガはちょっと違う。マンガの電子書籍は基本的に書籍と同じ形で表示されるし「紙で読みたい」と思ったことは不思議とない。感動するときはするし、しないときはしない。マンガはいい意味でビジュアルが問題なのだ。

一巻無料とか試し読み30ページとか、これは電子書籍特有の販売方法で本屋ではまず無理。絵もストーリーも確認できてとても良い。本屋で「野生の思考」を買うときはさすがの値段にちょっと迷ったりしたのに(あのフォントも読みにくそうだし)、どうでもよさげなマンガの一巻無料に引っかかり、つい全巻買ってしまったことが何度かある。ワンクリック購入機能は罪深いよ…。

そんな私のkindle paperwhiteはマンガモデル。最近は既存の作品がオールカラーになったりしてるし、マンガだけは電子書籍化が進むと販売数が増えるんじゃなかろうか。

 

つまりkindleで本を読む時、私は感情活動をせずに「情報」として受け取っており、自分自身もそれを把握しているのだな。

 

読書の楽しみというのは人それぞれだけど、保管の問題は非常に大きい。

ので、主に情報を得るための読書は電子書籍でいいと私は思っている。新書もそう。小説も、たいていの本は「あー面白かった」で終わりで、読み返すこともなくブックオフ行きなので電子書籍でかまわない。そんな本に収納スペースを占拠させる必要はない。

あとマンガもスペースの問題と、上に書いたように形態と質の齟齬が少ないのでこれも電子書籍でいい。

ハードカバーの本は難しい。紙の手触りを味わいたくても、時間のない現代人が通勤カバンにつっこむには難アリのサイズのことも多い。特に上下巻のやつとかね。上巻を読み終わって下巻が手元にない時のあの生殺し感、耐えられない!というわけで、同時に発売されるとどうしても電子書籍に流れがち。

 

ただし時々現れる「情報」という価値を超える本。紙で読みたい本。所有欲を刺激する本。これはもう、当たっちゃったら改めて本を買う。で、狭い本棚に加えるに値する本かどうかを吟味する。

 

これらの感覚を持ち続ける人がいるかぎり、本屋という商売はなくならないと思う。

でも全ての本が電子書籍化されて、全てが「情報」となった時。情報は紙媒体と同じ感動を与え続けることができるのだろうか。

それとも、媒体による感動の違いそのものが私の勘違いなんだろうか。

 

おしまい。